10/22/2011

ぼやきまとめ。

・尻すぼみの文章なんとかしたい。はじめの雄弁なペースで最後まで続かない。

・supercellにイラっとする。厨房どもに諂うのは自分の庭でやってろ、詞と注文が寒い。

・土日はあまり動きたくない。でもライブあるしアニソンだし…

・腹痛がここのところマッハ。あとケツいたい。

・正直物差しがないので勉学の進度が不安。進みも遅いし今の立ち位置すらわからない。でも本心を話す相手すらいない。

・自分がイラっとせずに心底に点くアドバイスをくれる人間なんていないよ。


・まぁこんなことする暇があったら寝ろ。

10/11/2011

遅刻との戦い三年記

始まりは三年前の6月だった。いや、それよりも早くかもしれない。
つまりは堕落の始まりなわけだ。


元々徒歩15分の学校ですら満足に通えていなかったわけだから電車なんぞに時間通り乗れるわけがない。あまり舐めないで欲しいものだ。


始めは遅刻魔であるからして特に無理はせず、間に合いそうな時間にだけ原始的な走りを見せていた。
しかし遅刻が2桁に達した辺りから策を練ることとした。


私には汗血馬があった。言い換えるならリーサルウェポンだろうか。
つまりロードバイクである。
この駿馬は荷物こそ積む事が困難だがその点さえ解決が可能と言うならば相応の走りを見せてくれる。
何度この愛機と修羅場をくぐり抜けたか分からない。ただ乗用車にとっては傍を最高時速4,50kmで駆け抜ける存在は甚だ迷惑だ、冷や汗ものだ。まさにリーサルウェポンと言って差し支えはなかっただろう。

しかしスタンドもないこの自転車は滅多な事では使用しなかった。
なぜかといえばチェーンロックするのが億劫であることと、スタンドが存在しないことである。
あれこれ意味ないんじゃね…


そして次の作戦が用意された。
遅延証明である。遅れそうな時間に乗り込んだとあらばすぐにジョルダンで遅延情報をチェック、3分程度でも駅員に書かせていたが地下鉄に乗り遅れる為にこれでは分が悪いことに気づく。これもだめじゃないか。
結局これは本路線がダメなら他路線の遅延証明をゲット、だめなら致し方ないという結論で収まった。


その他にはタクシー、バスなど公共交通機関を利用するというのも視野にはあったが、結局は原始的な走りと落ち着くものである。


自転車の速度、近道、遅延証明、駅からの走りなどなど。幾つか併せれば10分程度の遅れなぞなんとかなるものである。
今は私を遅刻魔と呼ぶ声はほぼ無くなり、立派な学業戦士として日々社畜輸送列車の傍に居座り続けるのである。

これにて戦乱は収束へと向かった。

fin.