6/03/2011

魔法を信じますか?

「16万か・・・」
溜息交じりに出たその言語は臭気と少々の湿気を孕んでアパートの一室に消えた。
働き人からすれば人生で最も影響を受ける書物とも言われている預金通帳を机に置くと男は横のベッドに倒れ込み、そのベッドのスプリングを軋ませる。
働かずに約6年間家の中だけで生活をしてきた。
親がこの世を去ってから2年が経つ。諸々の手続きは全て姉に任せ、男は残された金を食いつぶすだけの存在となっていた。何年か前に大学を出たが働く気など更々なく、家計も苦しくはなく裕福な家庭だったので何もせずとも親が養ってくれるだろうと高を括り職に就かなかったが、ほんの5年も経たぬ内に職場での事故で共々逝ってしまった。その後に縋り付こうとした姉とは葬儀以降は全く連絡が取れないのでどうしようもなかった。
今年も半ばにして貯金があと16万円、姉に家を追い出され、このアパートに篭ってからは全て宅配物で過ごしてきた事が今になって響いたかこのままでは一生はおろか一年、いや3ヶ月と食いつなぐことは出来ないだろう。こうなっては男の頭には働く他に選択肢はなかった。男は重たい腰を上げ、座り続けの生活で衰えた筋肉と骨で腹の脂肪を持ち上げるとゆっくりとした足取りで玄関に向かおうとした。
玄関のドアノブに手をかけたところでふと頭にこんな考えが浮かんだ。「ネットで済ませればいい」と。そう思った瞬間にはもうパソコンの前に座って電源を入れていた。そうして就職支援サイトにアクセスし、条件をキーボードに叩き込もうとしてふとカレンダーが目に入った。
「7月...12日...」
男は気づいた。
明日は30回目の誕生日じゃないか、と。

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