12/29/2011

予備校体験記

受験も間近に控えた師走の始め、冬季講習くらい行ってみようと思い立ち、大枚を叩き日数にして10日前後、時間数にして12時間を4コマで実質48時間ほど某予備校に通うことにした。

そもそもが一般的な講義とは少し変わった感じだが、予備校というものの雰囲気を少しでも感じ取ってくれたら幸いだ。

まず受講したのはセンター用の一番人が多く普遍的であろう講座を1つと特定の大学への特化用の講座を3つ。後者の分類は10-20人の比較的少人数の講座が2つ、参加人数3人という超少人数講座が1つ。数えてこの4講座になる。

ちなみにお値段だが1講座18000円という値段は正直高い。さすが受験のプロだけあって講義は良かったと思うのだが、だからといえ1時間に1500円も払う気にはとてもなれなかった。内容は毎週真摯に受けてきたら落ちる理由が見当ら無いように思う程度には楽しめた。ーしかし予備校に定期的に金を落とす大方の人間は自分で勉強ができないことは明らかだ。だから落ちるのだろう。ー さて少し話が逸れた、しかし講義を受けたからには金は払わねばならないのは当たり前だ。まぁこんなことを言っておいて代金先払いなのだけれど。


さあ肝心の内容の話をしよう。

・大人数講座、選択科目:古文
60-70人程度。テスト演習からの解説で毎回始まった。スーベニアよろしく日々の学習に使えるだろう小冊子を貰った。校内生は既に持っているようだった。語呂合わせだったり文法だったりのルーチンワークの様な暗記分野はやはり普段の授業の延長線上なのか自分は知識のなさが露呈したようについていけなかった。ここはプリントを確認するのみで終えた。そして問題演習では文章の納得のいかない点をプリントと講義で理解しつつ進めてゆく。ここでは単語だったり文法だったりの足りない点を即興で埋めつつできたと思う。学校のものよりペースも早く自分好みである。なんといっても質問が挙がるであろう点を先回りするように解説していくものだからよっぽどお粗末な人間で無い限りは口を挟む必要がないのだ。
モチベーションを高めるためか苦手分野を晒すためか会場内の正答率を挙げてくれる点で自分には効果ありだった。
おまけで私語禁止ということなので全体的な空気は暗い。ピリピリしていたの方が合ってるかもしれない。
特記すべき点はこのくらいだろうか。



・特化講座1,2 選択科目英語、古典
だいたい15人程度。某大学に特化タイプなので過去問から抽出した問題を演習。英語は既存の読み方をオルタする事を目的としたもので一貫性があった。古典は文法の解説をしつつなものだから慣らしのように感じられた。ただこちらの手土産は多く、一読に値するものがあった。担当の講師にはどうも人気というものがあるらしく校舎を引っ張りだこだとか。人気とかそういった話は軽く聞いていたものの「ここまでのものか!」と思う事があった。ーしかし、本当に人気の講師は申し込み時点で埋まっていた。…つまりは私の受けたかった講義のうち一つは満席だったのだ。ー また話が逸れた。英語については文の読み方をいくつか意識してやったおかげか主題は掴めていたように思う。配点の高い部分でこれは嬉しい効果だった。古典ではやはり慣れなのか当時の知識もついていたおかげかリズムで読めるようになったように感じる。…正答率はひとまずおいておこう。数を強制的に熟させられるという点でも特化講座を取った甲斐があったというものだろうか。



・特化講座3 現代文
3人であった。教室に集った有志の数である。確かに1番教養的であり、今まで培ってきた地力が如実に出る科目であるがなるほど、ここまでのレベルを志望するにあたってわざわざ現代文に割く時間は少ないだろう。だが少ない。
テスト演習から始まったこの講座だが、講習で講師と会話をする事になるとは思わなかった。志望学部から学校、名前、家の位置、文理、部活遍歴などなどを聞かれた。全てありのままに答えるのも憚られて無論いくつかダミーの解答をしたが、まさか講座内でハンドルで呼ばれるようになろうとは完全な誤算である。これは無駄話ではないか?と思ったが、子答えて曰く「説明の仕方から性格を見ている」とのことであり、僕にはまだよく分からない話だった。僕がまあまあ本を読むことに話だけで気付き、「マイケルサンデルの本はいいよ」だとか「丸善はポイントがつくし生協は本も割引があるからいい」だとか有意義な話を聞いていれば、これは中々に効果のある手法ようで感心してしまった。講義や解説も解答が予備校で割れるような問題でも論理的に説明ができる人だったので度肝を抜かれてしまった。
不人気講座というより科目の重要性を履き違えられていることでこんな講師が埋もれてしまうというのは些か悲しいと思わせられた。


概ねこういった感じだったが、どの講座も自分のやり方を確認しつつ受けることで少し視点に角度を付けるということをできるようになったと感じた。この体験が合格という2文字に繋がることを祈ると同時に、自分で利用して値段分の結果に繋げて行かないとなととも思う。

12/24/2011

[廻るピングドラム]結局これはなんのお話

5話ほど時間がとれず溜めていたのですがここにきて時間ができ消化完了。てっきり12話程度だと思っていたので今になって録画リストに連なる話数を見てびっくりしました。なんでこの作品を見たかといえば、ここのところまどか、あの花、いろは、タイバニといったとりあえず原作無し(もしくは並行して完結予定あり)のアニメが流行の兆しを見せる中でこの作品も何らかの策を講じているだろうと踏んで視聴しておこうと思ったわけです。

まず先に感想は
・演出でかすぎる
・ピングドラムってやっぱこれかな?
・ちゃんと回ってるわ
・サネトシ先生いいキャラ
・あれ蠍の炎って銀河鉄道の夜?
・なんか最後の方まどかっぽいな?
・この展開「旧約聖書」で見た!



はい。じゃ。考えて行きましょう。
これは全部妄想なんで鵜呑みにしないでね。


まず演出でかいね。
濃い部分抽出すればおそらく半分で終わるね。あとどーん!って部分小説だとどうなってるんだろね。ちょっと読みたいので2月くらいに香菜と図書館行こう。

さて真面目に考えてみる。

まず運命の人が
ショウマにとってカンバ(林檎半分
カンバにとって陽鞠(場面忘れた
陽鞠にとってショウマ(ブロイラー
…やべえ漢字わからねえ。

で、ピングドラムが回り回って陽鞠に分けられた命、まぁ兄弟のやつね。しかもこれは個人毎に外的要因が必要らしい。
外的なものは
「冠葉が妹 翔馬が苹果 陽鞠がダブルH」になるのかな。たぶんこの外的要因の愛がキーなんじゃないのかな。これは長く言及してたので。

でこのキーを持った上でいのち分け与えます。
まず冠葉が選ばれるはずだったのを晶馬と2人でいのち分けました。
晶馬はそれを陽鞠と分けました。
冠葉も陽鞠にどのくらいか分けました。
冠葉はいのちもうほとんどないです。
陽鞠ももらったものが日々の生活も罰で減ってたらしい。傷だらけ。
冠葉そこで消え始める。蠍の火。
翔馬は冠葉に返します。
冠葉はそれを陽鞠に与えます。これがピングドラムの完成。

でも罰はあるよね?そこで苹果ちゃんの呪文。でその代償を晶馬がぶんどって消える。個人的にここ強引でかっこいいと思った。愛に答えて一方的に消えるとかちょっとね、反則的だわ…。これにより陽鞠の罰は乗り換えたのでチャラに。
乗り換えたってことは人形の色が変わってるので分かる。あとなんでかペンギン残った。


最後に
記憶は消えて世界も変わったけど兄弟として陽鞠を思った紙は残ってたよ。


個人的にはこんな話にまとまりました。明日になったらまた変わってるかも。



最後に疑問点。
・タブキ先生と百合さんは乗り換えて記憶保持してるんだけどあの人たちは語り部かなんかなの?
・蠍の火って罪の重さに気づいて焼かれるって話で自分としてはプラス要因なんだけど冠葉は気づいて報われたのかな?一方的に命潰して反省してたか分からんまま燃えてたけど。
・最後の兄弟には罪が残ってるの?どうして子供なの?
・サネトシ先生は光と影の関係みたいに泥った世界にい続けるの?
・磨り潰すって子は結局なんだったん…?
・忘れてるけどその他諸々。




見返してすらいないから記憶たどってこんな感じだった。
背反なの見たいから明日他の人の意見見てみようかな。

12/23/2011

僕らに課された宿題

冬休みに入りました。
初日は買い物という形で終わりそうです。
めぼしいところでは来年のためにキャリーバッグを決めました。靴を買いました。

前者では空港などの場所で目立つことを善としてグリーンにオレンジという配色で少々奇抜なものを選びました。子供っぽいものではなく、緑の地から落ち着いた色なので目立つ割に忌避するようなものには見えず、良い買い物でした。奇抜なのに落ち着きとはこれ如何に…

靴は磨り減っていたので少し足に配慮した内装のセール品を。



その他商品も見て回りましたが自分の目に付くのは生活用品ばかり。食器やバス用品、はたまた調理器具にインテリアなど。今の浮世だった気分は、一人暮らしというほんの目と鼻の先に控えた将来のために必要となってくるだろう物々を見定めするという取らぬ狸の皮算用というような愚行に及ぼす。将来を考えるよりは今やるべきことに打ち込み、その時々に考えるがよかろうと思うものである。前々から予定していたものが全て手中に入るとすれば喜々のあまりに廃人と成り果ててしまうかもしれないから…



そして冬休みに宿題がないこと。これは変化と言える。お前らに求めるものはH23の合格者数の数字であって繋ぎとめておく鎖や枷は必要ねえよ!といった学校側のツンデレな意思表示かもしれない。それはないか。まぁともかく学校側としては受験をするものはその動機はどうであれ「勉学の意志はあるということが汲み取れるので野放しにしておいても差し支えなかろう」と思ったのだ。せいぜい期待する通りに合格者数の数値の嵩増しくらいしてやってもいい。情報科の合格実績に色を添えるどころか、思い切りベタ塗りをしてやるのも悪い気はしない。自分の思うことをしてやろう。この枷の外れた休み明けに、何か手応えを感じて皆に顔向け出来るように。

12/19/2011

ぼくがかんがえたさいこうのおんなのこ

過去のある入試問題でフェミニズムの評論を読んだことがある。
女性は見られる事によって自己認識をするという主張から始まる。一行でまとめると自己は他者を介して発見するという主旨だ。

そしてその文に確かこんな一節があった「男性から評価され比較され値踏みされる」 だいたいこんな文だったと思う。内容からはズレていないはずだ。ここから見るに男性は女性を評価する側となるわけだが、僕は自分の評価の物差しを自分で把握できていないと感じた。そこでどんな女性を自分は評価するのかということを考えようと思った。

例えば最近読んだ「源氏物語」の夕顔の巻だったかな?で光源氏は「誰かにうっかり騙されそうなくらい浮いた子がいい、賢くていうことを聞かないのはだめ、慎み深くて男に頼る女性がいい」と言っていた。つまり一人で耳かきもできないような生娘が良いってことで、とても分かりやすい。
こういった女性観は自分にあるのか?って事を考えたい。


好みを羅列するだけならできるけどそれらを統括して中央値を出すのはなかなか難しい。自分のストライクゾーンど真ん中ってどんなやつだ。
とりあえず主体となる身体からいきますか。
今の好みで言うとみもりんなんだよね。三森すずこ。うん。可愛いよね。ここ一年は圧倒的みもりん。有名どころで言えば志田未来とかも好きだけどな、思えば同い年だし。
さて、ここで僕が気づくのは顔で評価するのなら「様々な顔ができる人がいい」という事になる。あれ…これ我ながら意外。確かに凝り固まった顔は可愛くても一時的なもののように思う。あと好みの顔してる人ほとんど涙袋ある、たぶんこれは付け睫とかマスカラべったりな人が好きではないから必然なんだろうが。
身体についてのフェティッシュで言えば手が綺麗な人、太ももが細すぎない人がいいかな。ここでいう手の綺麗さはちょっと説明しづらいので割愛。ももは筋肉ある程度欲しいってくらい。そこまでフェティシズムじゃないね。あ、あと身体関係ないけど眼鏡合う人好きです。

で、主体とちょっとずれてハビット、ビヘイビア、キャラクターなどの内面的要素。源氏物語の引用も少しずれてた気がするけどここでは振る舞いは客観的要素としよう。
まず重視すべきは「物事に体してのある程度の好奇心を持ち、それを理解しようとする人」、言い換えれば「相手の話に質問ができる人」だ。相槌は誰だって打てるので、これを満たす人は所謂聞き上手でもあるかもしれない。
第二で教養のある人。これは階層に合った物事を知っている人、または対人関係においての常識を持っている人と言った方がわかりやすい。
第三に与えられた役割に対しての使命感、責任感の強い人。
内面的要素はこれだけかな。ずいぶんと抽象的なので内面だけの具体例を挙げると「少なくとも行動力、知識欲があり、物事に対しての感受性が高く、常にマナーなどに気を遣うことができる。そして人に尽くす」ということになる。まずは自分と類似した相手、次に教養、最後に一部相反する性格を求めている。


まとめると、
「喜怒哀楽を表現できて、物事に対する興味と少しの教養があり慕ってくれる人」

身体的な部分はやっぱり後付けかもな。というよりこの性格で可愛かったら即ハンコだろ…



【余談】
「好きなタイプを芸能人で言うと誰?」って言われたら臨機応変でいけるけど「好きなタイプをAKBで言うと誰?」って言われると全く浮かばない。最近は後者が主流らしいので大衆の共通意識としての常識のあり方を考えさせられる。

12/15/2011

世間

世間が君を許さない。

この場合、世間とは何なのかというお話。小説では言葉に圧を持たせるために使うもので、単にその言葉が仄めかすのは自分が気に食わない、自分が許さない。それだけのことである。これを言われた主人公は気づいている事が大多数だ。

類義語として、「みんなやっている。」というものがある。
こちらを主に使うのは親に物をねだる小学生か、麻薬の密売人である。
「みんなやっているよ!だからぼくもこのゲーム欲しいんだ!持ってないと仲間はずれにされちゃうよ!!」
「みんなやってるよ、すっげー気持ち良くなれるぞ!一回くらいならほんのお試しみたいなもんだしさ、ほらこれタダでいいから!!」
といった具合だ。「みんな」という後ろ盾、抽象的な圧、信用があるという印象を与えたいのであろう。
この場合前者ではその「みんな」の具体的な名前を1人づつあげてもらうのがいい。この盾は乾いた泥のようにボロボロと崩れ落ちるだろう。後者はまぁ…無視して人通りの多い道を邁進するのが最善である。現代では虎の威を借る狐もインテリゲンツァな人々には通用しづらい。



さてこうなってしまうと現代の場合、威を借りたい人々はどうすれば相手に要求を飲ませる事ができるだろう。


答えは簡単で、自分がその借りられない威を見せればいい。

どうしてそうしたいのか、そして相手に何をして欲しいのか、そうする事によって相手が得るメリットデメリット、そしてそこに灯る自分の熱意。
これを気迫を伴い相手にぶつける。ここで自分の意思が通る2択を用意して相手に選ばせ、断るという"正解"を選ばせないようにするのもいいだろう。ともあれ強気で攻めるのである。
むやみに得体の知れないものを味方にあるように見せるよりは、自分の気持ちを本気でぶつけてみては如何だろうか。


世間が許さないんじゃない。お前が気に食わないんだろ。

12/12/2011

将来どうすんの

ここのところ、自分がなにしたいのかを考えるたびに抽象度が上がってしまって確固としたものが見えない。

参考になるかと思い、「将来どうすんのお前?」と友人たちにも聞き回っている。
正直エスカレーター大学へ上がるというのでまず留年という単語が現状でもちらほらと耳に入る。笑い事ではないぞ、と冗談混じりに喝を入れてみたりもするが進学先も決まっていない自分の事なので説得力が皆無である。
そこで1人だけ「バンドで一発当てる、ダメならラノベで一発当てる。」と言ってるやつがいる。流石に冗談なのは此方からしても分かる。けど他には何も答えてくれないので4年後どうしているのかなかなか心配にさせてくれる。

コンクリートプランがある人間の方がこの時期珍しいのかもしれない。倫理観念的には青年期、モラトリアムの時期になるのだから。
僕はこれからに何かを見出せるのだろうか、不安の種は尽きない。

12/11/2011

憔悴

徒然なるままに。


母「浅田真央ちゃんのお母さん亡くなったやん」
僕「ああ」
母「あんたが海外にいてあたし危篤になったら帰ってくる?」
僕「ないな」
母「だよね、まぁ特別な大会とか発表?とかがなかったら帰ってくるの普通やと思うけどさーあんただしなー」

こういうのは本当に危篤の相手が「残れ」と言うか、天秤にかけるものに大義名分が無かったら帰らざるを得ないだろうと思う。割れながら薄情者である。


大義名分について。
人が物事をやめるのに理由は無く、ただ理由も無く辞めるのがかっこ悪いから、自分が恥をかかず、かつ納得できるような大義名分として、その分野の先駆者の振る舞いに感服しただとか言い訳を被るのである。
僕にだってその例がないわけではない。少し前途の話とは違うが以前のアルバイトだって受験だからと言って辞めたが、実際は行くのが面倒だっただけだからだ。相手がやめるという行為に理由を必要とする以上、こうやって大義名分を騙ることはやめられないだろう。
これを知ってから理由を騙ることに後ろめたさをかんじるようになった。今後自分が大義名分を語り辞めることを想像するだけで肌が粟立つような不快感を感じる。
後付けの理由ほど虚しいものはないと僕は思う。

12/07/2011

ラブライブ

かなりハマりました。はい。

今のところ全曲視聴済みという徹底ぶりで1stから出るごとに聞いてる程度にはラブライバーと呼ばれる人種に分類されてしまうのかなと。

ここらでブログを見てるまだ聴いたことのない人たちのために暫定ランキングでも。

1. snow halation
2. 夏色えがおで1,2,jump!
3. love marginal
4. 僕らのLIVE 君とのLIFE
5. 私たちは未来の花

他はトントン。3が分割グループ曲、5がソロ曲なんですが全員の曲ではないですがまぁ、全体的な雰囲気で選んでます。2,4が正統なアップテンポかな。

μ'sという9人を3人ずつそれぞれpritemps,BiBi,lily whiteで分割したグループ曲はうまく心を掴んでくる曲がないなーという印象。声優好きならいいんでしょうけど曲調がどうも自分には合わないようでした。でも全部カラオケでは歌える程度に聞き込んでますけどね。

まだ全部聞けてないのが海未バージョンとことりバージョン、今度発売となる穂乃果バージョン。これで印象が変わって順位変更とかあったら面白いなーと思うんだけどww
今度の投票でBiBiの中からのソロもあっていいと思うんだけどなー。

んで2月19日にラブライブのライブ(ややこしい)があります。ついに。
遂にと言えどちょうどその頃には15曲くらいなので、現状でなんとか回せるくらいの曲数。そして行く側としても覚えるのに苦はない数量。時間がなくてもA面だけおさえておくだけでも楽しめる。すごい行きたい。すごい行きたい!!!
でも20-22まで入試なんだよね。会場の場所からして余裕で間に合うのに。なんで22じゃないんですか。本命にかぶせはるんですか。そりゃないっすよ…
ちくしょうめ…



まぁこんな感じで今後に期待のラブライブなんですけど皆さんもどうでしょうか。未だに潰れそうな学園を盛り上げるために結成したとかその辺りが全く活用されていないのでここをどう使って行くかも楽しみです。

12/06/2011

焦燥感に焦がれる

同年代の友人から言われた言葉にハッとなった。
「模試でA判定のやつは落ちる、E判定のやつは遂には受かる」
これはまさにいまの自分の状態を端的に表してくれた言葉だと慄き、たじろぎ、痛点をピンポイントに突き、そのまま抉り出されたような気分だった。

そして「焦燥感が欲しいね」と。
返す言葉もなく、頷くことしか出来なかった。
9月終盤の模試ではなかなかの結果を残せた、そして完成していない教科を重点的かつ充填的に取り組めばこの程度…そう思っていた。そんな時にぶつけられた。それはもうどーんとかそんなチンケな擬音ではなくて、ずがんとかめきっとか変なノイズが入った音が聞こえた。

このままではまずいと深部では感じていたものの、表層でこのままでいいじゃないかとペースを緩め続けていた。もう何もしない寸前どころかちょうど何もしなくなった日だった。

何をすればいいか分かっているが、それはそれは膨大で、何から手を付けていいのか、そして何よりも逃げが心底に根を張っていた。
眠りという逃げ。この眠気は快適な眠りを運ぶわけではなくただ貪欲に時間だけを食い潰すだけの利点のないもの。この眠気に時間を何ヶ月分も食いつぶされて、気づけばこんな時期になっていた。勉強をしないにしても何か他にすることが、できる事があったろうに。

前回の模試では思わぬところで高得点を得て、自分から見ても前回よりもかなり伸びていて、なかなかの良成績であった。あの時から現在まで評価は変わっていないだろう。むしろ落ちているかもしれない。

次まであと一週間。
それまでにどこまで戻せるのか。まず思ったのはそんな不安だった。そしてこの不安は肥大化していった。一ヶ月後に思うような成績が修められるのか、もしも駄目だったとしたら…?そこから続けて一ヶ月後にも失敗をしたら?
今まで思い、焦がれ続けてきた東京が、そこに自分がいるという未来が、飾り立てる学歴が、さらに将来のための勉強が、何より今までと生活を変えられないというそれはもう最悪の現実と、幼年期から10年以上も思い続けてきた夢が打ち砕かれる。全てが終わってしまう。こんなところで。
過去に一度砕かれた夢をまた叶えるチャンスが、前回よりも大きくなって巡ってきているのにその目の前で、今度は外的要因ではなく自分の手で擦りもせずに通り過ぎて行くのを見逃す事になるのか。そう思うと目頭が熱くなり、自然と溢れるように涙が出てくる。
そもそもの話、なににそこまで惹かれたのか分かっていない。イレギュラーが好きで、そんな位置に身を置く事を義して生きてきた自分だが、この国で1番自分のファルスとは真逆のレギュラーの多い都市で自分は何をしようというのか。今まで特別だった場所が当たり前になるということを今通っている都市で感じてきた。ただそこに少しだけ、全身が入りきれていないという言葉にならない気分もあった。それが全て消え去り、姿形の見えない、あまりにも漠然とした夢を追い、都市に出てきた一大学生と成り果てるのだ。それのどこがイレギュラーなのか今考えても到底分からない。ただ異端者ではなく変わり者としてその都市でやっていけるという根拠のない自身はこれまでで消え去った。そこで今後社会と対峙するため個性を打ち消して生きるという覚悟を持ち、最初の目的として自分を満足させ憧れを満たすという決心をしなくてはならない。今、改めて灰となった自分と向き合うのだ。


これから2ヶ月で積み重ねてきた"焦がれ"についてどんな待遇をしてあげらるかが決まるのだ。今焦がれるのは夢ではなく、焦燥感。焦りから今まで信じ続けた自分の中身を引き出してみよう、そう思う。

12/02/2011

聞きあぐねる

突然だが僕は普段のテンションは高いが、肝心な時に羞恥を感じ煮え切らない人間だと自負している。
いきなりのネガティヴキャンペーンから始まるが、人間関係について悩むこと多し青年期への架け橋を邁進中のこの頃である。この様な性格になった所以からこれからの身の振り方を考えていけたらと思う。

・以前
小学生時代にはテンションはいまよりも高く、誰とでも会話が出来、何でも聞き何でも話すことが出来た。本当に極端だがシステムの制御室に収まらず管制塔のネジが全て錆落ち、塔まで崩れ落ちていたいたと考えるのが妥当な程のテンションだった。校区はまぁ島の中なのに、その外の学校の情報に精通してたくらいに交友は広かった。小学生のくせに。

・気づく
転機となったのは間違いなくここ。
中学の時。とある地方都市、まぁ政令指定都市に崇拝とも言える一定の憧憬の念を持ち週末に足繁く通っていた頃。例に漏れずこそばゆい期待を抱き移動していた時、たまたま一人の女の子と知り合う。周りの女の子は6年ほど顔見知りな訳だし遠慮もあまり無い、つまりこの時はこれまでの例とは違うことに気付かなかった、否、気付けなかった。そしていつも通りズカズカと質問をしたものだから女の子は涙目で「心ないね」と僕に浴びせた。それはコップ一杯の水のように僕は感じたが、その子が僕にかけたかったのはバケツ程度だったのかもしれないと今僕は思っている。

・心ないとは何か
僕はここで初めてやりすぎたかもしれないと感じたのである。遅すぎる。全てにおいて思ったことを言い、行ってきた僕に慎ましさの存在を気づかせてくれた瞬間でもあった。無論、その瞬間にそう気づいたわけではないのだが。その時は怒らせてしまったという程度の認識だったが、その後僕の性格が吉と出たのでここで気付かないよりは圧倒的に良いほうだった。
さてこの後だが、「心ない」という言葉から僕はそう言われてしまった理由まで事細かに聞いたので相手の心により傷を負わせたと思う。馬鹿正直すぎてクズい。
ここのやり取りは割愛するが、内容としては「何がダメだったのか」「今後学ぶこと」だ。ここまで真摯に付き合ってくれた彼女には本当に涙がちょちょ切れるものだ。ここで社会的マナーはできているものの、少し距離のある対人関係の基礎がごっそりと抜けていたということが明るみに出た。対人関係ちゃらんぽらん。

・中学を通しての変化
閉鎖的な街から抜け出したいという気持ちが一層高まり、都市的な人間関係にも適応できるよう画策を始めた。前々からこういった思いは強かったが、今までは遊びに行くため鞄を手に取るだけでは夜にエイリアンよろしく両手を捕まれ強制送還されて叱られる最近の若者を演じることが限界だった。そこで僕は剣ではなくペンを取った。「勉強して都心に出てやる」というよくある考えの礎石のひとつにもなる。そして周りに対しても態度を急激に転化させていき、友人が遠のくという事態にも発展した。この変化を理解をしてくれたのは他にもない彼女と数人の先輩だけだった。

・変化の代償
関係を変えるということで急激に考え方を変化させたおかげで起こったのは、精神的問題で以前のような接し方ができなくなり、新しい関係を築きあげるのが難しくなった。新しいものを知ったらもう前には戻れないということかもしれない。今思えばこれは卒業アルバムにもよく反映されていてなんだか哀愁感すらある。
一気に進行させて後に退けないのは文字通りで個人精神的だけではなかった。途中で留めておけば自分としては良かったと思うのだが、人間関係においては「昔取った杵柄」は通用しないのかもしれない。なんだか大切な物を失った気分にもなる。たまに相手に言いたいこと、聞きたいことを口に出せない時があると、まずこれは言ってよかったのかと考えてしまう。そして後になってあぁ言っておけばよかった、聞きあぐねたと後悔するときは特に強く思うのである。

・現在
こうした考えでは自分が排他的になってしまうと考え積極的に行動しようと立場を改め始めている。これまでの動きは行き過ぎた。だんだんと始めるよりは行き過ぎたところから戻ればいいというのはよく言ったもので実際問題そこまで苦労するものではないようだ。コミュニケーションのできない人を見るとこちらから接しようという気持ちも萌芽し、余裕すら感じられる。

ただ表面的な関係は容易に繕えるものの、深部までいこうとするとどこか窮してしまう自分がいる。
あの時のように言われたら、という気持ちが意外と食い込み巣食っているのかと思うと、自分も人のこと言えないかもなと少し顔を引き攣って笑って見せるこの頃である。