12/15/2011

世間

世間が君を許さない。

この場合、世間とは何なのかというお話。小説では言葉に圧を持たせるために使うもので、単にその言葉が仄めかすのは自分が気に食わない、自分が許さない。それだけのことである。これを言われた主人公は気づいている事が大多数だ。

類義語として、「みんなやっている。」というものがある。
こちらを主に使うのは親に物をねだる小学生か、麻薬の密売人である。
「みんなやっているよ!だからぼくもこのゲーム欲しいんだ!持ってないと仲間はずれにされちゃうよ!!」
「みんなやってるよ、すっげー気持ち良くなれるぞ!一回くらいならほんのお試しみたいなもんだしさ、ほらこれタダでいいから!!」
といった具合だ。「みんな」という後ろ盾、抽象的な圧、信用があるという印象を与えたいのであろう。
この場合前者ではその「みんな」の具体的な名前を1人づつあげてもらうのがいい。この盾は乾いた泥のようにボロボロと崩れ落ちるだろう。後者はまぁ…無視して人通りの多い道を邁進するのが最善である。現代では虎の威を借る狐もインテリゲンツァな人々には通用しづらい。



さてこうなってしまうと現代の場合、威を借りたい人々はどうすれば相手に要求を飲ませる事ができるだろう。


答えは簡単で、自分がその借りられない威を見せればいい。

どうしてそうしたいのか、そして相手に何をして欲しいのか、そうする事によって相手が得るメリットデメリット、そしてそこに灯る自分の熱意。
これを気迫を伴い相手にぶつける。ここで自分の意思が通る2択を用意して相手に選ばせ、断るという"正解"を選ばせないようにするのもいいだろう。ともあれ強気で攻めるのである。
むやみに得体の知れないものを味方にあるように見せるよりは、自分の気持ちを本気でぶつけてみては如何だろうか。


世間が許さないんじゃない。お前が気に食わないんだろ。

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